「世界を変える!」運動の発祥の地 サンフランシスコ「サマー・オブ・ラブ」50周年

7pt   2017-05-19 22:35
Market Hack

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1967年の夏、サンフランシスコの街で「サマー・オブ・ラブ」という現象が起こりました。それはヒッピー・ムーブメントと呼ばれ、アップルの創業者、スティーブ・ジョブズをはじめとするシリコンバレーの先達たちの人生観、仕事観に大きな影響を与えました。

あれから50年。

いまやアップル、アルファベット、アマゾン、フェイスブックなどからなる一握りのテック企業はS&P500指数の36%を占めるまでになっています。

サンフランシスコ・ベイエリアは世界のテクノロジーやビジネスに君臨しています。

しかし、その陰で、サンフランシスコは、「フラワー・チルドレン」達の価値観とは対極的な、利己的で冷たい、醜悪極まりない街に成り下がっています。

そこで今日は50年前の夏に一体、何がおきたのかを振り返ってみたいと思います。

1967年1月14日にサンフランシスコのゴールデンゲート・パークで「ギャザリング・オブ・トライブス(部族の集会)」と呼ばれる無料イベントが開かれました。それは「ビー・イン(Be-in)」とも呼ばれました。

これは2万人にのぼる若者が、ただ集まっただけの集会と言われています。そこでハーバード大学の教授が「大学なんて退学しろ! 高校も中退しなさい! いまの社会のままでは、決められた道を歩む価値は無い」と演説しました。

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当時のアメリカはベトナム戦争の泥沼から抜け出そうとしてもがいていました。徴兵制度があり、若者はいつ赤紙が来るかびくびくしていました。

わずか3年前にはケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されました。公民権運動は過激化の様相を呈していました。

第二次世界大戦終了後、戦地から帰ってきた兵隊さんが結婚し、ベビー・ブームが起こり、1967年には、ちょうどそのベビー・ブーム世代が青年になっていました。その数は1,900万人とも言われています。

つまりアメリカは若者で溢れ返っており、その若者たちは社会の矛盾に気がついたのです。

彼らは非暴力的かつ精神主義的な方法で世界を変えることを信じました。具体的には自然と隣人に優しく、開発と商業主義を否定し、シンプルな生き方を目指すということです。それはコミュニティ志向であり、シェアリング志向であり、スピリチュアル志向でした。

サンフランシスコのノースビーチでは1940年代にビート世代の詩人たちがコミュニティを形成していました。そこではジャズを聞いたり詩の朗読の集会が開かれたりしていたわけですが、ノースビーチは家賃が高くなりすぎたので、学校を出たばかりの若い世代は住めませんでした。そこでとりわけ家賃の安かったヘイト・アシュベリーに若者たちが流れて行ったわけです。

ヘイト・アシュベリーはゴールデンゲート・パークに面しており、日向ぼっこに適していました。これらのビート世代になり切れない新参者は「ジュニア・グレード・ヒップスター(お子ちゃま級トレンディ―軍団)」とビート世代から揶揄された。それが転じて「ヒッピー」という言葉が生まれました。

ヒッピーは、ヘイト・アシュベリーに沢山あった、朽ちかけたビクトリア様式の館で、シェアハウス(共同生活)運動をはじめた。彼らは、ある種のユートピア社会を作ることを目指していました。

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当時、LSD(ときに「アシッド」と呼ばれることもあります)は合法でした。

LSDをやると、世界の見方が変わります。たとえば「なぜ戦争をする?」ということに対する考え方や価値観が激変するのです。

当時のカリフォルニア州知事ロナルド・レーガンは「LSDを非合法にした方が良い!」と主張し、LSDは1966年に非合法化されます。これに対しヒッピーは、「これは、われわれの独立宣言だ」と反発します。

「ディガーズ」と呼ばれるボランティアが、ゴールデンゲート・パークで無料の食事を配り始めました。その食材はスーパーマーケットやレストランで売れ残った商品や残飯です。これは当時の消費文化、浪費に対する強烈な批判に他なりません。

「パプニング」と呼ばれるイベントもいろいろ企画されました。そのひとつが「マネーの死」という週かいで、そこでは若者たちが紙幣に火をつけ、燃やしました。就職するのは負け犬がやることだという考えが広がりました。

コミュニティ雑誌「オラクル」が創刊されました。

3月の大学の春休み期間になると、ヘイト・アシュベリーが混雑しはじめました。若者たちがヘイト・アシュベリーを目指した理由は、音楽、セックス、兵役拒否など様々でした。

夏休みになると、いよいよアメリカ中からの若者の流入がカオスを招来するのではないか? という懸念が生じました。それで大人たちはヒッピーの流入をストップしようと試みました。大人たちからすれば、ヒッピーは、仕事もせず、ドラッグをやって、セックスをして、自分の人生をただ棒に振っているだけだと考えたわけです。

ヒッピーは「これは人類が成長することが出来るかどうかの壮大な実験であり、それを誰も止めることはできない」と主張しました。

4月頃までにはテンションが高くなりすぎ、ヒッピーの側でも「これは何とかしなければいけない」という妥協の模索が始まりました。「オラクル」は「サンフランシスコへ来ないで!」という記事を掲載しました。

1967年6月21日(夏至)、「サマー・オブ・ラブ」の正式なキックオフの儀式がヘイト・アシュベリーに近い丘で行われました。その夏、5万人から10万人がヘイト・アシュベリーを埋め尽くしました。



しかし若者が集まり過ぎたので衛生問題や健康問題も発生し、13~17歳くらいの家出少年少女たちは未熟過ぎて自分の面倒をみることすら出来ませんでした。ドラッグは、そのような状況を悪化させることに一役買いました。

こうしてヒッピー・ムーブメントはカリカチュアと化し、「終わりの始まり」の兆候を見せ始めたのです。

ゴミやホームレスで溢れ返ったヘイト・アシュベリー地区は、ユートピアではなくディストピアになってしまい、若者たちが離れはじめました。

その1年後、ヘイト・アシュベリーで「ヒッピーの死」というデモンストレーションが行われ、この自然発生的な運動は終焉しました。

以上が「サマー・オブ・ラブ」のあらましです。

結局、ヒッピーたちは未来図を描くことには失敗しました。しかしこの夏の体験から、ヤング層は自分の感性を信じ、大人とは違った道を歩むことに対する自信を持ちました。エスタブリッシュメントに対する反抗精神は、シリコンバレーの起業スピリットとは切っても切り離せません。

また平和と愛を通じて世界を変えるという「革命」を経験したことは、シリコンバレー精神を、一本筋の通ったものにしました。

残念ながらこんにちのシリコンバレーはUBERに代表されるような容赦ない利己主義、拝金主義に毒されており、「サマー・オブ・ラブ」の精神は、かけらも残っていません。

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